点评:気仙沼向洋高校旧校舎を伝承館として展示しています。
私はBRT陸前階上駅から歩いて入りましたが、この行動が後に意味を持ちました。
駅側から来ると、まず目に入るのが瓦礫の山となっている建物です。
屋根のない体育館の建物と判断できるまで、少し時間がかかりました。
初めに20分毎に流されている映像シアターにて映像を見た後に、校舎の見学に入ります。
私が行ったのはGW中の日曜日ということもあり、気仙沼向洋高校の現役高校生が5~6人のグループに1人ガイドとして付いてくれました。
南校舎を1階から屋上まで順に上がっていきます。(2階は通過)
3階に海から流されてきた車が残されています。
4階は近くの冷凍工場の建物が流されてきて校舎にぶつかった後が外壁ともども色濃く残ります。
屋上は、最後まで校舎に残った職員と工事関係者が、さらに高い所へと階段上の屋根部分まで登ろうとした跡を残した展示があります。
1階に降りた後は一度校舎外に出ます。
北校舎と総合実習棟の間にある渡り廊下に、折り重なった車の残骸がそのまま残されています。(全5台)
北校舎の1階の廊下を歩き、最後は撮影不可ゾーンにて震災時の気仙沼の様子のパネル展示があります。
全工程90分とかなり長時間となりました。
この施設の大きな特徴は、気仙沼の展示だけが置かれている事です。
他地域の伝承館では、置かれた自治体以外の他地域に関する話も出てきますが、こちらでは気仙沼しかありません。
気仙沼自体が大きな町だったこともあり、膨大な記録が残されていたのが大きいと思います。
また気仙沼向洋高校の現役高校生と一緒に回れたことも大きかったです。
地元の人の声を間近に聞くことができたのが、何よりも体験として大きかったです。
それ故に、校舎近くの杉ノ下地区にある海を目の前にした高台の指定避難場所(校舎からは赤白の展望台として見えている)で起こった、避難した人が津波で流されたという話は聞いていて心が痛みました。
帰りは再びBRT陸前階上駅へ10分程歩いて戻りましたが、この歩いている道路、周囲の水田全てが津波に襲われたエリアと理解できると、末恐ろしくて仕方なかったです。
翻译:旧气仙沼向高中校舍现在作为民俗博物馆进行展示。
我是从BRT陆前桥上站走进去的,这个动作后来就变得有意义了。
从车站一侧过来,首先映入眼帘的是一座被成堆瓦砾覆盖的建筑。
我花了好一会儿才确定那是一座没有屋顶的体育馆建筑。
首先在视频影院观看每20分钟播放一次的视频后,我们将开始参观教学楼。
由于我去的时候是黄金周的周日,所以气仙沼向广高中的一名在读高中生带着5~6人的队伍作为向导。
我们将从南教学楼的一楼爬到屋顶。 (穿过二楼)
一辆被海水冲走的汽车留在三楼。
4楼的外墙和其他建筑仍保留着附近一家制冷厂的建筑残骸,该建筑被冲毁并撞向校舍。
屋顶上有一个展览,展示了一直留在校舍内、试图爬上楼梯上方屋顶的工作人员和建筑工人的遗骸。
下车到一楼后,向教学楼外走去。
北教学楼和综合训练楼之间的走廊里还残留着相互堆积的汽车残骸。 (共5个单位)
穿过北校舍一楼的走廊,走到尽头的禁止拍照区,会有一幅展示气仙沼地震时的情景的展板。
整个过程持续了90分钟,时间相当长。
该设施的一大特征是仅展示来自气仙沼的展品。
在其他地区的民俗博物馆里,您会发现有关当地市町村以外的其他地区的故事,但这里只有气仙沼。
我认为这很大程度上是因为气仙沼本身就是一个大城镇,那里保存着大量的记录。
能够与气仙沼红阳高中的在校生一起巡演也很开心。
最重要的经历是能够近距离听到当地人的声音。
这就是为什么避难者被海啸冲走的原因,避难地点位于杉下地区校舍附近的一座俯瞰大海的山丘上(从校舍上可以看到红白的展望台)。听到这个消息,我的心很痛。 。
回来的路上,我步行回到BRT陆前桥上站,大约10分钟,但当我意识到我所走的路和周围的稻田都在海啸袭击的地区时,我就无法了。不禁感到惊恐。